京都というところは、歴史の舞台としてさまざまな文献に数多く登場してくる、
日本の中でも特別な場所と言っていいと思います。千年の都などと称されることもあり、
まさに日本の中心として、歴史を紡いできた街だと思います。
最近は新しい建物が増えてきて、京都特有の文化も、
すっかり影をひそめてきたかのような印象もありますが、それでも昔ながらの神社仏閣は、
大切に修復を繰り返され、保存されています。また、伝統的な芸能なども、
後継者不足がささやかれながらも、若い人にも参加してもらおうと頑張っています。
日本三大祭りの一つ、祇園祭が行われる界隈も、近年マンションが立ち並び、
すっかり新しい住民ばかりということになっていますが、それでも京都の伝統的な祭りを
継承する地域であるということで、他府県から来た人が積極的に参加し、
祭りを継承していっている様子は、頼もしい限りです。
食においても、昔ながらの伝統の味を伝える職人の仕事は今に続いていて、
それが老舗ののれんや看板を守っています。文化財の保護や継承と同様、
目に見えるものから見えないものまで、その技術を受け継ぎ、未来へ渡していかなくては
ならないという思いは、京都人の心のどこかに、根強く息づいているように思えます。
文化というものは、書物や伝承から受け継がれる場合も多いと思いますが、
意外と見過ごされやすい要素に、その環境に身を置くということがあると思います。
祇園などの花街で育った人が、自然とそのしきたりや雰囲気を身に付けられるのは、
その場所に子供のころからなじんできたということが、
大きな要素として挙げられると思います。
そういった意味でいえば、京都に生まれ育ったことそのものが、
すでに京都文化の継承人の一人として選ばれたということになります。
日頃は文化を意識して暮らすということはないものの、ふとしたはずみに出てくる京都弁も
また文化の一つです。あえて標準語で話すことをせず、他の地域の人とも
京都弁ではんなりと話すことが、京都文化を発信していることになるのではないでしょうか。
それくらいの貢献なら、どんな人でも無理なくできると思います。
けれど、それをするのなら、確かな史実や情報に裏打ちされたものにしないと、
誤った情報発信をすることになります。それがひいて京都のイメージを悪いものにし、
間違った印象を与えてしまうことになるのですから、責任は重大と言えます。
少しだけでもいいですから、きちんと勉強をし、正しい情報を得たものだけを、
京都文化として言葉などで発信することは、自分自身にとっても楽しく、
有益なことだと思います。それが一つ一つ積み重なっていくことで、
京都の中の地域に詳しくなり、より情報量が増えていくことになると思います。
そうやって京都を知っていくことが、京都に生まれた人たちにも必要であり、
意外と知らないことがわかって面白い体験となるであろうことは、
想像に難くないような気がします。